神農教種五穀及治病

神農教種五穀和治病的伝説

 言い伝えによると数千年前、炎帝という人がいた。彼がこの世に現れた時既に人口はとても多かった。人間が増えたため食料が足りなくなっていた。そのため多くの人はいつも食べるものにありつけず飢えていた。炎帝はとても心根の優しい人で、人々が飢えている悲惨な状況に心を痛めた。彼はもし太陽が充分な光と熱を発したら、五穀を地上で栽培することができると考えた。そうすれば人々が食べる心配をしなくてすむだろう。

 

ある日のこと、一羽の赤い鳥が嘴に九つの穂の付いた苗を銜えて飛んできて、穂の実が一粒一粒と地上に落ちてきた。炎帝はこれを見てあれっ、これは穀物の種じゃないかと思った。そこで一粒、一粒拾い上げ田に蒔いてみた。秋になりかなりの種が取れた。これを彼は人々に田に蒔くことを教えた。この時種はまだ充分とはいえなかったが彼の慈悲深い心が天上の神を感心させ、天から突然多くの種が次次と降ってきた。人々は種を開墾した田に蒔き、青々とした作物が生えてきた。しかし作物は水をやらなければ充分に育たない。うまい具合に炎帝が生まれた所には九つの井戸があったがこの井戸水は地上とつながっていなかった。そこで彼は井戸水を田に撒くことを教えた。水をやったおかげで作物はことのほかよく育った。秋になり人々は多くの食料を収穫することができ飢えることもなくなった。みな平穏無事な日を過ごせるようになり、感謝の意をこめて彼を神農と呼んだ。

 

神農は人々に五穀や雑穀を植えることを教えたばかりでなく、薬草で病気を治すことも教えた。

大昔、人々は病気になったら治すすべがなく、たくさんの人が病で死んだ。これを見て神農はとても心を痛めた。そこで彼は自らあらゆる草を試してみてどの草が何の病気に効くか調べた。自ら薬草を食べて調べたため何度も毒に当たった。言い伝えによると彼の体は透明でガラスのようであった。薬草を食べたあとどこに毒が当たったかを外から見ることができた。それで彼は多くの病に効く薬草を探し出すことができた。毒性の強い薬草もあった。言い伝えによると神農はある種の鞭を持っていた。この鞭で薬草を打つと元々毒のあった薬草も治療に用いることができるようになった。この後人々は病にかかると、処方箋により薬草を呑んで治せるようになった。

 

しかし一体全体神農炎帝という人物は本当にいたのだろうか。どうもいたらしい。湖南省隣県に炎帝稜というものがある。言い伝えによると炎帝の死後ここに埋葬したそうだ。山西省太原のあるところに神農が薬草を調べた所があり、その山に鞭で薬草を打った場所を探し出せるとのことだ。この山を神農山と呼んでいる。言い伝えでは炎帝と黄帝は我々の祖先である。だから我々中華民族はまた炎黄子孫ともいう。

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