鄭同荷の話

言い伝えによると浙江北部の水郷湖州の南郊外に、双林と呼ばれる古い村に鄭という名の富豪がいた。主人の鄭同梅さんは学者で、生涯あらゆる書物を研究した。しかしどれほど教養があっても官位や宮仕えに無頓着で、いっこうに科挙に参加しようともせずどんな功名を求めようとも思わなかった。先祖が残した田畑や家屋などのおおくの財産を基に生活していた。

平素から鄭さんは生活は質素で言動にも充分慎み深く、研究仲間との交流を楽しみ、それ以外ことのほか蘭が好きであった。庭には彼が手塩にかけた蘭が植えられており、品種或いは数量においても杭嘉湖一帯では知らないものが居ないほどだった。

鄭家の近くに一家三人で暮らす王というお隣さんがいた。普段から彼ら夫婦は鄭家にやってきては力仕事を手伝い、鄭さんは経済的にも物質的にも彼らを援助し、さらにしょっちゅうその息子に勉強を教えていた。この子はとても賢く学問の進歩がとても早かったので、鄭さんはことのほか喜んだ。しかし思いがけず、その子の父親が大病を患い突然死んでしまった。続いてその母も夫を亡くした悲しみと平素の過度の疲れのため病になり半年もしないうちに子供を残して逝ってしまった。

その子は年端も行かぬうち孤児となってしまった。これに鄭さんと夫人は深く同情し相談した後この子を引き取って育てようと決め、鄭さん自ら王家に行きこの子を連れ帰った。一家の者の前でこの子に言った。“今からここがお前の家だ。ここにいるものは皆お前の親族だ。” この後、この子と自分の子供に勉強を教え、時とともに人の道をとき正しく導いた。二人の姓の違う兄弟は学業上長足の進歩を遂げた。

 ある日の晩、月はこうこうと夜空に懸かり、外はひっそりとしてきたころ、床に就いていた鄭さんは突然夢のなかで王家の亡くなった父親を見た。彼は感涙に咽び手を合わせ低さんに感謝した。“先生に育てていただいて子供も成人できました。この度あの子は京に赴き科挙に参加し受かるかもしれません。もしうまく受かればもちろん先生のおかげです。” 続けて “私は先生が蘭を宝物のように愛していらっしゃるのをよく存じております。今日先生にとくにお伝えすることがあります。近日中に町にびっこの蘭売りが現れます。彼の蘭かごに極品が有ります。その価値はいくつも城が建つほどです。先生が注意深く選別すれば必ず見つかります。。” 

 しばらくして鄭さんは夢から覚めた。彼は両目を閉じさっきの夢を思い返した。おかしなことがあるものだ。しかしよくよく考えればいつも自分が思っていることを夢に見たんだろう。彼は何度か寝返りを打つとまたすやすやと眠りに落ちた。次の朝、目覚まし時計が りりり。。と彼を起こしたときには昨夜の夢のことなど綺麗さっぱり忘れてしまっていた。

ある日の午前中、お日様は暖かく春真っ盛りであった。鄭さんは湖州の馮さんと言う蘭友の招待に応じ蘭を見に出かけた。彼がある横丁に入ると、急に “蘭は要らんかね、蘭は要らんかね。” という声が聞こえてきた。鄭さんが歩みを止め前を見ると、少しはなれたところで髭面の年寄りが蘭かごを担ぎびっこをひきながらやってきた。この光景に鄭さんは急に数日前の晩に見た夢のことを思い出し、奇妙なこともあるもんだと思った。彼は笑顔で年寄りにどこの人かと尋ねた。年よりは自分は西沼溪安吉の山のもので、春先になると山に行き蘭を探し、いくばくかの金に換え糊口を凌ぐのだといった。年よりは鄭さんが身をかがめ両手でかごの中の蘭を次々選別するのを見て、玄人に出会ったのだと判った。“先生、これらの蘭は山から採ってきたばかりで、どれも育てることができますよ。”鄭さんは聞いた。“全部買うとしたらいくらですか?” 先生、全部買ってくれるんですか!。“年よりは少し疑わしげに言った。”もし全部買ってくれるのなら、私は半分を売ることにし、残りは差し上げます。先生が蘭を見て値を付けてください。“ 双方しばらく譲り合っていたが、鄭さんは5つの竜洋を差し出し、年よりは喜びでのあまり開いた口がふさがらなかった。何度も”有難うございます、本当に有難うございます!“と言い、お金を収めると蘭かごを担ぎ鄭さんの家まで着いて行き、大喜びで蘭を取り出すと空になったかごを担ぎ別れを告げ去っていった。

数日間、鄭さんは外出することなく、専ら山のような蘭に没頭した。一株一株丹念に選別比較を繰り返した。果たして三日目、葉長18センチ位幅1.2センチ位の緩やかに弧を描き僅かに捩れ、色は深緑で光沢があり、葉質は細かく先端は丸くふくらみがあり、葉縁がつるつるとし鋸歯のない蘭が見つかった。8,9本立ちであった。さらに驚いたことにその蕾は太くて短く、紫紅の指のようで、気品に満ちほういに濃い紫紅色の筋が根元から先端まで通り煙のような霧のような苔彩分外鮮やかで趣に富んでいる。鄭さんはこの蘭は決して普通の花ではないと直感した、きっと新しい極品であろう。彼は蘭を綺麗に洗いよぶんな根や枯れた葉を切り、しばらく干した後二株に分けた。蘭の傷口に木炭の粉を摺りこみ、また廊下の端に2日つるし、良い用土を用意した後2つの泥鉢に植え込んだ。そのほかの蘭はもう選別する気も失せ訊ねてきた蘭友たちに好きに持って行かせた。

鄭さんが選別した二鉢の山採り蘭は、根が太く丈夫でまたここ双林水郷一帯の湿度や気温がとてもよい環境の下,10日もしないうちそれぞれ花弁がほころびてきた。外弁は厚くまた広く深くくぼんだ中央から膨らみ、弁端は蓮の花に似て先がやや尖り、色はやわらかい緑色で光沢がありとてもきれいで端正であった。捧心はハマグリのように短く丸くしっかりと蕊柱を抱え、白く伸びた大劉海舌の先には馬蹄形の赤い斑紋があった。二鉢の花はそれぞれ二花咲きであった。鄭同梅は大喜びですぐにこのふたつの鉢を綺麗に洗い釉薬のかかった磁器鉢の入れ、客間のテーブルに置き鑑賞した。数日の間彼はこの蘭の周りをぐるぐる回り、心の中で思った。:自分はほぼ半生を養蘭に捧げてきて少なく見ても百数十種はあるが、このような山採り蘭に出会ったのは初めてだ。なんと幸運なことだととても満足した。近隣の蘭友たちが鄭家にこの蘭を見にやってきて,この花はとても珍しく今まで見たこともないと口々に賞賛した。ある者が言った。“花は主人に似て大富大貴の相をしている、、。”人々が口々にこの蘭を誉めそやしている時外で突然パンパンという爆竹の音とジャンジャンという銅鑼の音が鳴り響き一糸乱れぬ人馬の列が鄭家のほうへやってきた。京へ科挙をうけに行った王さんの息子が見事合格したという吉報を官府より鄭さんに知らせに来たのだった。気が動転した鄭さんはうろたえてしまい、蘭を見に来ていた人に促されてこの吉報を両手で恭しく押し頂いたのだった。彼はそこに立ちすくし唇を動かすもしばらく言葉にならなかった。幸いにも家人と数人の蘭友がそれらのお使いの役人たちをお迎えしまたお送りした。

“すばらしい蘭の花が咲きさらに進士がやってきた。“ 瞬く間に人々の噂になり、話が広がるにつれそれぞれが違う受け取り方で話に尾ひれが付いていった。いくつかの地方の主だった人々が次々駆けつけお祝いを述べた。本当に学門と高貴な蘭の家柄だ、?人高中呀 ある者は “双喜臨門” 〈めでたいことが二つ同時にやってきた。〉の額を送ってきて、ケ家に素晴らしい蘭の花がやってきてまた科挙にも合格したとお祝いした。数人の愛蘭家はこのことをヒントに、新しく咲いた此花の特徴と、また中国の伝統的なおめでたい言葉 “栄華富貴” の意味を込めてこの花に “大富貴” と言う御目出度い名を付けこの二つの花が一冨一貴であると称した。

三年後の春、”大富貴“の花がほころび始めた頃余姚の蘭家王叔平氏が招かれて湖州双林の鄭家に蘭を観にやってきた。彼は “大富貴”の澄んだ緑,広い花弁その花形にすっかり魅せられ感嘆して言った。”先人たちの言ったことは本当で荷弁の蘭は本当に得難いものだ“。 長年荷弁を捜し求めた彼ではあったがとうとう出会えた。言葉の端にも彼のこの大富貴に対する賛嘆と渇望が十分みてとれた。鄭さんは友の気持ちを察し快く一鉢を贈った。

 王叔平は家に帰ると早速鉢をあけ,最も良質の余姚燕?山の土で植え替え、“大富貴”を珍しい宝物のように気持ちを込めて培養した。毎年春になると、“大富貴”はいつも彼の蘭園で真っ先に笑顔を見せ、その外三弁は大きな円形を成し,捧心はしっかりと閉じまるで小さな円球のようであった。王叔平は花の形状からこの花に”団荷“という新しい名前をつけた。後に鄭同梅氏が亡くなり、王叔平はこの蘭の最初の持ち主である鄭同梅の名をもとにこの蘭友との友諠を記念して”鄭同荷”と改名した。余姚と湖州は気候、風土、環境などの面で異なるため、もともと同じ”大富貴“であったものが長い年月のもとそれぞれ異なる特徴が現れてきた。余姚王氏の培養した”鄭同荷”は葉がやや細く浅緑の花色に僅かに黄を含んだ舌に馬蹄形の紅斑を呈し、一方湖州の鄭氏が培養した“大富貴”は葉が広く花色は普通の緑色、側弁はやや落肩、大円舌の紅斑は元宝状を呈する。

鄭同荷  大富貴

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