“春元梅”は余姚では“新秦梅”と呼ばれ,このことは《佚名蘭図譜》、王叔平の《五十年芸蘭経験談》に記載がある。
《佚名蘭図譜》:“新秦梅 またの名を春元。杭州の呉純伯(呉恩元)氏愛培植。色翠,三弁短小円頭,半硬捧,小円舌,惜しむらくは肩がすこし落ちる”;
《五十年芸蘭経験談》:“春元梅,別名新秦梅,発見者は杭州の呉氏。色翠,弁円,落肩。”この“落肩”というのは《蘭寶ャ史》に記載されたの“平肩”と一致しない。,《蘭寶ャ史》にある写真では落肩とは見えない。多分《蘭寶ャ史》の写真は初花のものか、あるいは栽培方法の問題であろう。
六十年代以後現在まで,江浙省の蘭著に“春元梅”について述べたものは少ない。諸友仁の《私の養蘭生活》にこの蘭の名前は記してある。《中国蘭芸三百問》、《乃安居芸蘭筆談》に少し紹介してあるがあまり詳しくはない。《乃安居芸蘭筆談》:“萼辺片円頭收根,質厚辺緊張,分巣半硬捧弁,如意形舌弁、梗細長,色深緑,やや落肩。” 《中国蘭芸三百問》では“花形が老秦梅に似ているので”“春元梅”は“新秦梅”とも言う。よく似たところが見られる。秦梅“五弁分巣,緊辺,硬捧,如意舌,平肩,外弁着根結円。”とあるが秦梅は現存しているのかよく分からない。まして比較など余計難しい。
“春元梅”は現在僅かにうわさを耳にすることがある。ある蘭苑に保存されているらしい。《中国蘭芸三百問》によれば1996年日本から少量買い戻されたらしい。
《蘭華譜》に確かに“春元梅”の記載がある。“葉中広、厚肉、半垂れ。葉長約六、七寸,葉色浅緑、小ぶりな方に入る。花容三弁緊辺、厚肉、花頭円鈍、蚕蛾捧心、如意舌、平肩。花茎は細く長い。花色は深緑であるのでやや暗い感じがする。葉姿花容全体のバランスが良い。”しかし《蘭華譜》にはまた:“春元梅”またの名“春程梅”という とある。見たところ《蘭華譜》はまた間違えたようだ,“春程梅”はまたの名を“翠円”、“緑茎十円”,といって民国初め紹興の蘭農が寧波で選出したもので、上海に伝わった後“春申梅”と呼ばれた(無錫に伝わったともいわれる。惠山に春秋時期に”春申君飲馬の古跡”があるので春申梅といわれた。)。外三弁円頭緊辺、蚕蛾捧,如意舌,一字肩。花色翠緑,花茎高,花品端正,花期早,葉半垂。 《蘭華譜》には“春程梅”についてののみ紹介したものはない。
1979年《蘭銘鑑》と1992年《中国春蘭銘鑑》にはただ“春程梅”が記載されているのみで,“春元梅”はどこに行ってしまったのだろう。では,“わずかに買い戻された”“春元梅”はきっと“春元梅”であり,“春程梅”ではないのではないか?
どうやらこの“春元梅”は将来さらに補筆する必要がありそうだ。
蘭寶ャ史補遺
1910年紹興のFeng長金が選出。1918年杭州の九峰閣が入手。
1920年開花。
特徴 三弁円頭収根、緊辺、質厚、分巣半硬捧心、如意舌、舌上の紅点はやや淡い。
蘭寶ャ史
春元梅は現在中国では見当たらないようだ。関連した情報や写真の投稿も殆どない。
日本には残っているのだろうか。何かと混同している可能性は??。
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