総理蘭を贈る

1962年、周恩来総理は風光明媚な杭州西子湖畔で訪中中の日中友好活動家松村謙三氏に親しく会見した。当時、国交はまだ回復しておらず、民間活動家として松村氏は日中友好活動に尽力し何回も中国を訪れ周恩来首相とも親友になっていた。松村健三氏はとても中国蘭が好きで多くの品種を収集していた。周総理は松村氏の趣味を知り、この度杭州で会うに際し随行員に杭州花ほに行き自分の故郷紹興より選出された名蘭を松村氏に送るべく選んでくるように言いつけた。蘭圃の主人は周総理の意図を知り、特に“環球荷鼎”という蘭を選んだ。この蘭は四十年前紹興の蘭農が上虞大舌埠山中で見つけたもので、当時上海の蘭愛好者郁孔昭が八百元の銀貨で買い取った極品であった。当時杭州花ほでも二、三鉢あるのみで松村氏は周総理からこの蘭を受け取った時、感動で言葉もなかった。彼は“環球荷鼎”がとても珍しく貴重であることを知り、それ以上に総理の自分に対する好意を知った。“蘭”は美の象徴であり、また友好の象徴である、総理は日中友好が“蘭”のように常に青々とし、“蘭”の様に馨しいものであることを願った。

松村謙三氏は“環球荷鼎”を大切に日本に持ち帰り、終生日中友好事業に尽力した。今わの際彼は息子たちを枕元に呼び、重々しく、彼の日中友好事業を受け継ぎ、周総理に送られた蘭を大切にするように言った。

彼の息子松村正直氏は父の言いつけを肝に銘じ、元々蘭に対して門外漢であったが、広く蘭友と交わり、研鑽を重ね、数年後養蘭の技術は大いに進歩し日本蘭界の養蘭の名人となった。彼は“環球荷鼎”を蘭友たちに送り日本中その香が漂った。

1987年日本で”第三回世界蘭花博覧会“が催され、松村正直氏は中国の代表団員より周総理の故郷紹興ですでに83年に蘭花協会が設立されたことおよび蘭花が紹興の市花に定められたことを知り、内心の感動を抑えきれず必ず紹興へ行くことを表明した。

その年十一月、松村正直氏は七十九歳の高齢を顧みず、蘭友に連絡を取り合い一行六人長旅の

苦労のすえ紹興を訪れ、紹興蘭圃を参観し当地の蘭友たちに会った。さらに紹興市蘭花協会にか

つて周総理が彼の父親に送った“環球荷鼎”の子孫を寄贈した。数十年の歳月を経て遠く東方へ

渡った紹興の蘭が中日人民の友情を携えて、中国から日本へ渡った後、日本で根を張り花を咲か

せた、そしてまた日本から実家の紹興に帰ってきた。今日すでに中日は国交を回復し、中日両国

民は世世代代仲良くしていかねばと表明している。周総理と松村健三氏が地下でこのことを知った

ら微笑んでおられるだろう。

 中国春蘭をやっている人で松村健三氏と周恩来首相のことを知らない人はいないと

思いますが、中国の人はどうだろうか。東方蘭花網にこの記事があるが若い人はあま

り知らないのでは

 

周総理と松村健三氏

1962年

ニュース06
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送