発見年代、発見者ともに不詳。蘭寶ャ史の作者である杭州急峰閣の呉淳白が愛培とあるが、どういういきさつか小原氏の京華堂に収まり2,3本立ち一鉢があるのみとある。その後中国では絶種し後に日本から里帰りしてきたらしい。
蘭寶ャ史の写真は不鮮明でよく分からないので蘭華譜のものを紹介。
揚州蘭展に秦梅として出品されたもの
元吉ではないかという意見も
特徴として葉は濃緑で中広、葉長18cmくらいの小型
花は丸く大きい。肉厚、緊辺、硬兜捧心、如意舌、平肩
全体的に整った翠緑貴品である。
ある蘭友が秦梅として1988年入手し最近花の咲いたもの
秦梅ではなく天珍(清源)あるいは泰原梅ではないかなど意見紛々
こちらも最近秦梅として紹介されたもの
極めて流通量が少なく真品を特定できないようだ。
また次のような記事があった。
清代
嘉慶(1796-1820)年間,浙江省長興の著名な蘭農秦福生が、長興山で採取。後に浙江嘉善の紡績工場の社長阮秋浩に売却,秦氏が採取し,梅弁であったので,阮氏が秦
梅と名づけた。さらにこの後秦梅は僅かに杭州の九楼閣呉恩元のところにあるのみとなった。 現在多くの人がこの蘭を愛倍しているが、袁世俊氏の著書《蘭言述略》には“秦梅は絶種した”とある。多分当時は交通の便が悪く情報が伝わりにくかったのでそのように述べたのも仕方ないかもしれない。
新芽は紫緑色。株は中型,葉は約23-26cm,葉幅約1-2cm,翠緑色,光沢は無く,葉は中垂れ、古い葉は楽器の釣鐘形を呈し,葉脈ははっきりとし、葉先は鈍い,葉姿はとても綺麗である。 苞葉は淡紅色,紫紅の筋がくっきりと先端まで達する。三弁は円く,厚肉,瑞々しい緑色,緑の筋が均一に分布し先端は丸く広い。付け根は幅狭く、緊辺は内に窪み形はしゃもじに似ている。主弁は前方に弯曲し,蕊
柱および花弁に覆いかぶさる。副弁の下端がやや上に上がり、平肩。半硬捧心,短円,内がわの窪みに兜が有り捧心の先端が乳白色、舌面は淡い紅色に彩られる。秦梅の花茎は細長く、淡い翠緑色高さは10〜12cmで葉面より上に出るか同じくらいの高さ。花期は一般の春蘭より早く、三弁捧心は分巣、花弁は大きく直径は5.5cm以上あり、秀麗端正,花色は瑞々しい緑で光沢がある。このため秦梅は中国伝統春蘭中の逸品中の逸品であるが、流通量は極めて少なくずっと高値を維持している。ましてインターネットで写真を探しだすことなど極めて難しい。
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“宋梅”はなぜ“五公座”の末席にランクされたのか
春 蘭“宋梅”は江浙の蘭人によって江南四大名蘭のひとつと称される,宋(宋梅)、十(十円)、竜(竜字)、汪(汪字)のトップ。“宋梅”と“竜字”を国蘭の双璧と称する。また日本の愛蘭家たちは“宋梅” を四天王の王者と称する。“宋梅”は名品春蘭梅弁花の代表で,この見方は江浙の愛蘭家たちの認識と一致する。しかし,歴史上江浙春蘭ランキングの記載は,我々現代蘭人の見方と違う。 江浙の古い蘭書籍 《呉興蘭譜》の春蘭[梅弁類]のランキングは以下のとおり、
一,頭貴,五弁着根結円,大円舌,きわめて緊辺,磬口のようにただ半分ほど開くだけで,花茎細く,山の字の構造。蘇州で採取される。五公座のトップ。
二,紅梅,五弁着根結円,外三弁に紅筋が九本ある,緊辺,鋪舌,細茎,山の字構造。蘇州にて採取。五公座の第二位。
三,秦梅, 五弁着根結円 、 緊辺,如意舌, 花茎細く,山の字構造。嘉善にて採取。五公座の三位。
四,青銭梅, 五弁着根結円,単辺軟捧,大円舌, 花茎細く,山の字構造。蘇州にて採取。五公座の四位。“青銭梅”は《蘭寶ャ史》にある“青銭梅” とは別物
五,宋梅,三弁着根結円,五弁の先端が完璧,捧口やや小,平辺, 花茎細く,山の字構造。紹興の宋錦旋が採取。五公座の末席。
頭貴、 紅梅、 青銭梅はすでに絶種。秦梅は現存するか定かでないため、宋梅が梅弁の王者とされている。
歴史上の”秦梅”は本当に現存しているのだろうか。現在中国内でもいろいろな見方がある。しかし、中国および日本の蘭展で言うところの秦梅は、殆どが”天興梅”の咲き損ないで(愛蘭家によってはこれを元良梅という人も)、弁の先端の中央部が欠け、弁に蛭状の筋があり、舌は多くが斜めに伸び長い。この花が宋梅より上といえるだろうか。このことは秦梅の真偽を認定するするのに大きな示唆を与えてくれる
中国蘭花網
つまりかつての中国の蘭人たちが愛してやまなかった春蘭梅弁花の中で、宋梅より上位にランクされていた秦梅である。当然その美しさ、品位ともに宋梅よりはるかに上でなければならない。
このことから現在秦梅として出品される蘭が何かは分からないが少なくとも秦梅ではないということは明らかであるということか。
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