九庄梅

中国蘭花交易網
九 章 梅 
歴史抗日戦争前選出
特徴:外三弁長脚大円頭緊辺,半硬捧,分合背,小如意舌,花色は濁りの有る緑,平肩。
この蘭の呼び方について長いこと論争がある。ある者は九章梅と呼びまたある者は九庄梅と呼ぶ。以前ベテランに教えを乞い、蘭書を調査したが中には天章梅と呼び、九章梅とは呼ばない者もいた。我々湖州蘭花協会では基本的に九庄梅と呼ぶことで統一した
。どう呼ぼうとこの花は良い花といえる。以前は多く新花については三回続けて同じ花が開花した後決める習慣があり、こうすると間違いなく固定したものと確定できる。しかるに現在流通している九章梅は背小分頭合如意舌に咲いたものを見たことがない。全部が大円舌で花も葉姿ももうひとつの老品天章梅によく合致する。この2点から考えて現在の九章梅は本当の九章ではなく天章梅であると思う。《蘭華譜》にある 天章梅の紹介を見てみよう。

九庄梅
またの名を九章梅。1918年寧波の楊祖仁氏選出。葉は中細でV字型の溝がある。古葉は弓形を呈し黄ばむ,脚殻低。新芽は水銀紅色,花苞水銀紅に緑の峰がある。三弁長方形,收根は良くない、緊辺,一字肩,軟蚕蛾捧,弁上に紅筋がある,円舌端正,紅点は特に鮮艶,花色は緑の中に黄が混じる。花形は可愛らしく端正。

天章梅 は大正七年(1918年)寧波の楊祖仁氏の発見した新出貴品である。葉は写真のように、中広性で収根、培養によって広葉となり、葉姿はとても優雅。花は 翠色鮮麗,一字肩、半硬捧心、円舌端正、紅点特に鮮明,花幅一寸三分あまり,将来性十分な名花である。昭和十一年(1936年)始め京華堂に入り、茨城県下館の田宮大樹庵氏の秘蔵するところとなる。 次頁の写真は今春(1937年)始め開花したときのもので、まだ真の姿を発揮していない。今日原産地でも極めて数の少ないめ稀品である。

梅弁
歴史:抗日戦争前選出。
特徴:三弁長脚大円頭緊辺,半硬捧,分頭合背,
小如意舌,花色濁りのある緑,平肩。

春蘭譜  九章梅

06年寧波市第7回蘭花博で銅賞を獲得した九章梅

 実際には九章梅と呼ぶのは間違いで、九庄梅と呼ぶべきだ。なぜならどんな古書を調べても九章梅という言い方はなく、天章梅という言い方があるだけである。
《中国蘭芸三千問》のなかで、丁永康氏はこの花をすでにはっきりと描写している。
 また葉軍然氏は彼の《江浙春尢幕モ賞と鑑別》のなかで、この花を“九庄梅”と改正していて、この花の葉芽と花の写真を添付している。
 いまだに蘭友がこの二つの名前を使うのは、数年前に“九庄梅”の価格が“九章梅”よりはるかに高くなったためであろう。しかし現在までに咲いた両者の花はすべて同じである。この花はかなり前に江蘇靖江に買い戻され本園ですでに何度も開花し
06年湖州市蘭展で銅賞を獲得した。表彰状にははっきりと“九庄梅”と記してある。                    中国蘭花交易網

九章梅として出品されたもの

九庄梅として紹介されたもの

蘭華譜 この写真が現在九章梅として流通している花によく似ていることから混乱が生じたようだ。

 九庄梅あるいは九章梅さらに天章梅ともに中国の古譜に記載がなく、日本の蘭華譜に記載されていたこと、これらの名前の蘭が日本からそれぞれ里帰りしてきたこと、蘭華譜の写真の蘭が現在流通している九章梅によく似ていることなどから混乱が生じたようだ。
 
 春蘭伝統名品資料集の15番目天章梅:1918年紹興寧波の楊祖仁選出、37番目九庄梅:蘭華譜に記載有り、44番目九章梅:詳細不詳、最近日本より里帰り。とある。     方舟蘭花網

前に紹介した天章梅

(夢幻都市)より

 写真で見る限り三者はよく似ている。
 そもそも蘭華譜にある(?蘭華譜を持っていないので)天章梅、九庄梅、九章梅はそれぞれ別個の花だったのだろうか。そうだったとして、増殖して広まる間に混同されたのだろうか。国内で混乱しそのまま中国へ輸出され、資料のない中国でさらに混乱したのか。
 現在三者を同一視するものが多いようだが、中には真品九庄梅は梅弁で数は極めて少ないが実在し、九章梅は水仙弁であるから別種であるという意見もある
最近の蘭

他の九章梅

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