拱宸大荷 きょうしんだいか または きょうしんたいか

《蘭寶ャ史》
:拱埠初めて芳花園を建てることになった。しかしまだ未完成のため,九峰閣の余った建物を借り、そこで山採りした春を十個の大鉢(甕)にいれ加温し開花させ、そのなかからこの大荷を得た。三弁は含笑花のように,広く、厚く,貝殻捧心,舌丸く大きい。は澄んだ緑。,(うかんむりのことだろう)字肩。品格実直さでは大富貴に及ばないが;意気軒昂という面ではこの花に及ぶものはない。       写真はない。

蘭寶ャ史補遺

《乃安居芸蘭筆譚“拱宸大荷”について:“杭州の恩元拱宸橋の彙芳花園で入手した。萼片は極めて広く厚い,貝殻捧心、舌は丸く大きい。澄んだ緑色でやや落肩、花容は意気軒昂” と記してある。
 この花については殆どの蘭書に記載がないが、《蘭華譜》ではこの蘭は所在が分からない。絶種したのではなかろうかと記されている。また《中国蘭芸三百問》ではすでに絶種した
29の荷弁の中に入れてある。
 聞いたところによると最近江浙地方に里帰りした“拱宸大荷”が僅かではあるが流通していて、その株は見たが花はまだ見ていないそうだ。この品種は生き延びている可能性が非常に高い。
1992年全日本東洋蘭連合会の認可した《中国春蘭銘鑑》にこの品種が記してある。まもなく市場に流通する量も増えてくるだろう。

“hong(暖める)春蘭十大缸”のことは以前にも紹介したことがあるが、山採りした花芽つき春蘭を鉢に植えずに、大きな平鉢にまとめていれ開花を促す方法の一種である。“拱埠”について人名だという人もいるが、《乃安居芸蘭筆譚》では拱宸橋のことであるとしている。この解釈のほうが正しいであろう。

《杭志》に記載してある杭州拱埠は一般に拱宸橋周囲一帯を指す。現在の拱墅区の北端に位置し、運河を横切る拱宸橋は京杭大運河の南端の著名な橋梁のことである。東は台州路に通じ西は橋弄街に接している。“拱”とは出迎えるという意味で、“宸”は帝王、皇帝を指し、拱宸橋は明崇禎四年すなわち西暦1631年に建設され、古代皇帝を出迎えたところであり、杭州の北大門であり、杭州の現存する有名な石橋である。歴史上の拱宸橋は非常に繁栄した商業地区で明朝末期清朝初期の頃多くの商船が群がり有名な“北関夜市”を形成していた。これが“拱宸大荷”の命名の由来である。.

含笑花=木蓮(木蘭)の一種

拱宸大荷

 日本から買い戻した拱宸大荷が少しずつ普及していること、1992年の中国春蘭銘鑑にこの蘭が記載されていることから実際に現存していてそのうち花を見せてくれるだろうという期待があるようだ。

 ということは日本には当然流通しているということか。グーぐルで検索するといくつか出てくる。しかし蘭寶ャ史の説明とは異なりごく普通の花に見えるが。。 また こうしんたいか と読んでいるようだが拱は音読みでは きょう としか読めないと思うが私の勘違いか??
 蘭華譜がないので本当に 絶種したのでは と書いてあるか分からないが本当なら現在流通している蘭はどこから広まったのだろう。。

最近の蘭

この花は現在中国では見当たらないようだ。投稿写真、情報類も見つからない。

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