解佩梅

九華 解佩梅 は花茎が高く細く、平肩で捧心は白く、花色は緑で香が濃厚で、各世代の愛蘭家の賞賛するところである。国内外で解佩梅を持つ愛培家は人材に事欠かない。その発見に関してはさらに美しくも伝奇的な物語がある。

言い伝えによると清朝乾隆年間、浙江省紹興に張という姓の家があり主人の張さんは学識豊かで、もともと宮仕えであったが人物が正直で権力、昇進に無頓着であったため人の姦計にあい生命にこそ関係なかったが職を失い家に蟄居させられた。この後官職に興味を無くし何度かの招聘にも応じることはなかった。普段生活は質素で,善行を好み施しをおしまず数人の弟子に授業する以外、蘭花を愛培し名誉や金銭に欲がなかった。

ある年の春、張さんは数人の学生を連れ郊外を散策し、ついでに山に登り蘭を掘り起こした。夕暮れも近づき正に引き上げようとした時、突然風に乗って女性のすすり泣く声が聞こえてきた。そのあまりの悲しそうな泣き声に張さんは急いで蘭を包み道具を片付け泣き声のほうへと急いだ。林の中の大きな石の上に50数歳くらいの婦人が座っているのが見えた。着ているものはボロボロで両目を閉じ、ただただ泣くばかり。張さんは続けざまに何度も声をかけたが返事がない。一人の学生が言った。“おばあさん、こちらの張先生はとても有名な立派な方です。何かお困りのことがあるならおっしゃってください。先生がきっとお力になってくださるでしょう。”老婦人はこれを聞くと泣きはらした目を開けむせび泣きながら話し始めた。”去年夫が病気で亡くなり、借金をして葬式を挙げました。なのに息子は意気地がなく、食べるばかりで何もせず、おまけに博打が好きで最近相手方が度々催促にやってきて今日中に負けた金を返さなければひッ捕まえてお役所で解決してもらうと言うのです。私にはどうしようもなく借金取りから逃れるためこの山に隠れているのです。“老婦人は言い終わる間もなく又泣き出した。張さんは一歩進み出て身をかがめ訊ねた。”ご婦人、借金は利息を含めていくらになるんですか“”五両です。“彼女が答えた。張さんはそれを聞くときっぱりといった。”ご婦人、心配しないでください。私が返済してあげましょう。“言いながら五両のお金を取り出すと老婦人の手に渡した。なんの方策もなく困り果てていた老婦人は手中の輝く銀貨を見るとこれが本当のことだと信じられずにぽとんと張さんの前にすわると頭を何度も何度も下げ感謝の意を表した。

三年後の春、春分が過ぎたばかりの頃,ある日あの老婦人が一人の実直そうな若者を連れ張さんの家を訪ねてきた。彼女は若者を張さんの前にひざまずかせ深々とお辞儀をさせ張さんの恩情に感謝させた。なんと三年前老婦人の息子は張さんから頂いた金子で借金を返済したことを知り、内心とても恥じ入りまた感激した。この後前非をおおいに悔い心を改め、それからというもの家運も好転した。老婦人は五両の金子を取り出し、また息子が高い山から採取してきた九華をお礼に差し出した。張さんはあわてて言った。“蘭は頂きます。でもお金はやはりお持ち帰りください!”張さんはふたりを見送ると老婦人から送られた九華を鉢に植えた。

しばらくして清明節の頃、張さんの植えた九華が次々と花開き清清しくも優雅な香が漂った。ある日一人のとても九華に詳しい友が訪ねてきた。細かくそれらの花を観察すると中に一鉢の花茎が細く高く伸び、三弁は翡翠のようできりっとして弁先が丸く、白玉のような捧心、如意舌にあでやかな紅点のある花を見つけ、思わず叫んだ “素晴らしい!なんと素晴らしい!張さん、これは九華中の極品ですぞ、いくつもの城を連ねるほどの値がします!”

張家が極品の九華を手に入れたというニュースは羽が生えたように蘭友たちの間に瞬く間に広まり、見に来る者は後を絶たなかった。ある日一人の中年の男が尋ねて来た。彼はこの九華を一目みるなり驚きであんぐりと口を開け、長々と “あー” と一声発し、即刻張さんに申し出た。“私はいかように高くともこの花が欲しい。いかほどでしょうか?” しかし張さんはお金に心を動かされることもなくすぐにお断りした。その男は渋々帰途につき、何度も壁にぶつかりながら家に帰るとご飯ものどを通らず、いやがうえにもあの花を手に入れたいという決心と気力が増してくるのであった。ある日彼は充分なお礼の用意をし再び張さんの家を訪れ話を切り出した。言葉は非常に丁寧で、彼の蘭に対する深い誠意がとうとう張さんの気持ちを動かした。やむなく数本譲ることにしたが彼はこう表明した。いわくお金は受け取らない、さもなくば譲らないと。中年の男はしばらくどうしていいか分らず、やるせなく着物の襟を触ったり、縁を引っ張ったりした。無意識のうちに帯に付けた翡翠の佩(下げ緒)に触れたので、すぐにそれをはずし両手で張さんの面前に差し出しこういった。“ご主人、それではこれを記念にどうぞ!” 張さんは辞退せず喜んで収め、思いつくまま唐代の詩人李慎の<詠蘭>の一節を口にした。香携袖,似相逢解佩,江仙散 (良い香が袖いっぱいに満ち、あたかも華美な下げ緒をはずのにめぐりあうかのごとく、江の仙人は俗世の縁を断つ。  とても正確には訳せてないと思いますがご勘弁を

そこでこの九華に“解佩梅”と名づけた。

時代は車輪のように先へ転がり、解佩梅もまた絶え間なく増殖していったが、まだ脚光を浴びる前、世に出てすぐ百年以上に及ぶ戦乱にあい、戦火に蹂躙され、侵略者の略奪にあい、大多数が失われてしまった。解放後、僅かに残された解佩はまたも文化大革命の折毒草として焼かれ、幸運にも生き延びたものもほんの僅かで稀代の珍品と言われた。しかし一鉢の解佩梅が中華人民共和国の初年に靖江にもたらされこの神奇な土地で順調にその数をふやし絶え間なく増殖していて、今では中国でも最も解梅佩のある所として靖江蘭界の光栄と誇りとなっている。

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