ある蘭友の話

剣陽蝶は市場に登場して今日まで、人々にもてはやされもしたが軽視もされてきた。私は今でも

はっきりと覚えている。
1998年鶴慶のある蘭展で一人の蘭友が一鉢の蝶花〜剣陽蝶を持ってきた。

値段は一芽
800011000元で、当時私は剣陽蝶はまだはっきりしたものではなく、皆が作っている

山採り苗の中から出た一本の剣陽蝶に一万元以上かけるより蝶花,奇花の特徴を持った大量の山

採り苗に使った方がましだと思った。こうして私は
1998年から2003年までずっと山採り苗の栽培に

時間を費やし、当然ながら
2003年剣陽蝶を買い大もうけする好機さえ逃してしまった。私はずっと懸

命に私の山採り苗の中から素晴らしい蘭が出ることを夢見てきた、大きな期待のうちに今年私の3
/4

の苗が次々と花が付き、細心の注意を払って花を調べた。しかし結果はこの上なく私をがっかりさせ

るものだった。

 
 2004
年私は友達と一芽12000元の剣陽蝶を5本買った、2005年になってその値段はまだ安定し

ているとはいえ
10月、、12
月と大雪素がどんどん値を下げるなか私や多くの友達は剣陽蝶も大雪素

と同じ道をたどるのではと心配した。そこで我々はまたしても剣陽蝶の前途に悲観的になった。

 今年鶴慶,麗江、貴陽などで蘭展が開かれ、私や多くの蘭友が注目したのはどれくらいの規模で売

買が成立するのかではなく、当時一緒に山採り苗を栽培した蘭友たちがもっとすごい副弁蝶を出品し

ないかということだった。このことは直接剣陽蝶の市場における位置にかかわるからだ。しかしすべ

の蘭展が終わって、すばらしい花容、花の安定性を持った、または花がなくても葉に明らかな特徴

を持つなどの副弁蝶は現れなかった{これらの特徴はその蘭を市場において確固たるものにするの

だが}ばかりでなく、貴陽の蘭展で李先生の剣陽蝶がまたも金賞を獲得した。このことはひとり李先

生の栄誉であるばかりでなく、もっとひらたく言えば長年を経て人々があらためて剣陽蝶を見直した

結果下した公正な評価であり、剣陽蝶が長年の風雪に耐え自分の実力で自分自身を証明して見せ

たということであろう。

 それはかつてその評価に懐疑的であった我々に受け入れざるを得ないと思わせ、我々がいかに別

の角度から正確に認識し評価すべきかを教えてくれた。このことは又剣陽蝶がなかなかお目にかか

ることのできない、得がたい逸品であることを知らしめ、それは高い精神性を待った花で、その出現

は大自然が我々花を愛する人に与えてくれた恩恵であり、我々はこの花をもっと大切にすべきではな

いだろうか。

   

剣陽蝶

剣陽蝶について馬志宏氏の紹介

90年代初期大理州剣川県老君山(2003年三江並流自然遺産に登録された)で発見され

その花はまるで蝶が飛んでいるようで蘭友達の注目を集めた。1993年”蘭界の大御所”

呉応教授はこの花を見てとても驚き又喜び歴史上剣川で有名な
剣陽八景“の意にな

ぞらえててこれに
剣陽蝶“と名付けた。この年発見者の李剣氏が中国名品蘭花04号と

して登録し、雲南蘭で始めて中国名品蘭花に登録されるさきがけとなった。

 ちなみに剣陽八景とは  華頂の朝日、東嶺の夕日、桑嶺の古木、玉竜の晴雪、石宝

の霊泉、郊外の放牧の笛の音、海面の漁火、海門の秋月。のこと

 

ある蘭園の栽培風景

大量の山採り苗のなかから
名品が発見される  とよい
が。。。

2006年4月20日,李映竜氏が第16回中国蘭花博覧会(貴陽)で大賞を獲得した剣陽蝶は北京の愛蘭家に40万元の高値で買い取られた。

この株は16本立ちで、その葉幅、長さ、厚み、蘭花の全体的な調和及び花どれをとっても出品されている剣陽蝶の中で群を抜いていた。花茎が7本立ち、それぞれ3〜4花、花容は端正、花色はあでやかで、第13回大会以降でも最も美しい一鉢であった。

博覧会上で、この姓名を明かしたがらない北京の愛蘭家はこの剣陽蝶にすっかり惚れ込んでしまった。数回の接触の後、李氏は遠く離れた北京の蘭友がこんなにも自分たちの雲南蓮弁に夢中なのを知って、値段交渉した後、泣く泣く,40万でこの剣陽蝶を譲ることにした。

続報

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送