彩雲代とも称せられ「老代梅」の如く一茎二花の花を婁婁着くるとして知られる銘花である。
大正三年、上海の陸永生発見の「彩雲同楽梅」とて荷形の梅弁にて糯質、蚕蛾捧心、大鋪舌の神気独絶の名品なりしが、不幸丁巳の年盗難に遭い今尚ほ保存せらるるや否や不明にて彼地愛蘭家に惜しまるる品ありしを附記して参考とす。
現在品薄なれど、二三培養せらる。鈴木氏の写真を見るに或いは「翠文」に非らざるかと思考す。それは**同音のため往々間違ふことあるに因る。茲に記録して質之。
中国蘭花交易網に
《江浙蘭宦t、《蘭尓鑑》では“新春梅”こそが絶種したとされる“同楽梅”だとしている。我々がいう“翠云”こそ“蘭寶ャ史”のなかの“彩雲同楽梅”
である。(牟安祥老氏の文から引用)
以下諭伯軍先生の発言:
呉応祥氏が1980年出版した《蘭花》に次のような紹介がある:“翠雲,荷弁と梅弁の中間変異に属し,園芸上‘荷形梅弁’と称し,又の名を‘彩雲代’という。通常一茎に2花を着ける。
1913年上海の陸永生氏が発見したといわれる。”
しかし呉応祥氏が1991年に出版した《中国蘭花》,1993年に出版した《中国蘭花》第二版に専門的に27の春蘭名品を紹介しているが“翠
云”については特に紹介が無い。ただ一言“このほかにも割りとたくさん栽培していて,:老代梅,翠雲,笑春,天緑,湖州第一梅,翠桃,無双梅などがある。” とある。これはなぜか。呉氏は“再版
前言”のなかでこう書いている:“前書の不足を補うため,特に二版を執筆するに当たり修正と補足を加えている。この中の第四章蘭花品種分類は割と多く訂正している。” 例えば,呉氏は翠云について特に懐疑的な態度を取っている。 もし
翠云が本当に1913年上海の陸永生が発見したのであれば,1923年出版された《蘭寶ャ史》に必ず紹介されているはずであるのに,《蘭寶ャ史》には此花は見当たらない。しかし沈渊如、沈蔭椿の著作
《蘭花》にも翠云の紹介が無く,ただ“翠雲代”の紹介があるのみだ。
では“翠雲代”が“翠雲”なのか?。“代”の字は上下2花咲くことを意味する。先例として,“老代梅”があることがその証である。一字の差ではあるが,品種名について言えば,この一字を省略することはできない。よってやはり別の品種であろう。
“翠雲代”の紹介を見て欲しい:王叔平は翠雲代,別名潘代梅,産地紹興,優れた点として翠色弁結円,欠点として僅かに葉辺が波打ち欠ける。feng如梅《乃安居芸蘭筆談》で,翠
雲代梅,又名潘氏代梅,紹興の潘氏選出。往往にして一梗二花,萼片結円色翠,しかし先端が欠け,僅かに波打つと述べている。沈渊如、沈蔭椿の《蘭花》では,翠雲代,梅瓣,歴史不詳,特徴三弁頭円、收根,緊辺,分巣,蚕蛾捧,小如意舌と述べている。葉は斜生,葉先は鋭く尖り,脚殻低,花茎高。三人の先輩方の紹介から,翠雲代の特徴は二花咲き,色翠,辺缺,微かに波打つと見て取れる。これは現在流通している“翠云”の花と全く違う。現在の翠雲は次のように明らかな特徴がある。すべての株の1~2枚の葉の先端が捩れ、殆どが一花咲きである。小三角舌,舌上の紅点がやや右に偏る。外弁は波打たず、欠けることは無い。
この蘭は蘭寶ャ史に記載は無く、蘭華譜にはじめてその名が現れる。
www.18888.comより
いろんなところで ”蘭華譜に翠雲また彩雲代、同楽もこれに同じと記してある” としている。
蘭寶ャ史に彩雲代の名はないが彩雲同楽梅があるので小原氏は単にこんな名の花もあると参考までに述べたにすぎないのではないか。
蘭華譜の記載を参考にした後の中国の書籍では、翠雲を彩雲同楽梅であると蘭華譜に書いてあると誤解したのではないだろうか。では小原氏は何から引用して蘭華譜に記載したのだろう。
翠文は蘭寶ャ史に写真、解説ともある。
浙江蘭花網、蘭花字典 春蘭新老品種的歴史及評述之梅弁 の38に記述がある。
翠雲梅 梅弁
1920年代紹興の潘氏が選出、又の名を潘氏梅という。
三弁結円、弁先ややよれる、花色翠緑、花茎高
また翠雲代については
(春蘭譜) 梅弁
民国初選出
外三弁円頭、収根緊辺、分巣蚕蛾捧、小如意舌、花てい高、葉半立、葉先鈍、脚殻低
(蘭花) 梅弁
歴史不詳
三弁円頭、収根緊辺、分巣蚕蛾捧、小如意舌、葉斜生、葉先尖鈍、脚殻低、花てい高。
とありいずれも写真はない。
最近翠雲として紹介されたもの
残念ながら蘭華譜が手元にないので小原氏がどこから引用してこの蘭を紹介したのか分からない。いずれにしても日本国内或いは中国に残っているとすれば、もっと実物の写真を発表してもらい名品かそうでないか蘭友の皆さんの判断を待ちたい。
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